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『自分がない/自分の考えや意見がない人』を読んで気持ちがふっと楽になった。

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自分がない/自分の考えや意見がない人|embryo

とても参考になる記事でした。

約1万5千字に及ぶ長文なのですが、タイトルのように自分の考えを持てない・物事に触れても言葉が浮かばない・感想を書くのが苦手といった人たちには多分に突き刺さる内容だと思うので、悩み苦しんでいる方は一度読んでみることを推奨します(__)

以下、自分のコメントを挟みながら印象に残った話を幾つかピックアップ。



>基本的に人間不信というか、対人恐怖症というか、表面上はどうあれ自分の意見がない(わからない)ことにコンプレックスを強く持っている。

この反動で「信じていいもの」を欲しがる傾向が強い。

グサッ・・・。



>その上で考えてもらいたいのは、「他人を不快にさせてはいけない」という強迫観念が自分にあるかどうかだ。

吐くほどありますね。

そう、たとえば自分はブログやSNSで何かを書く行為は、本当に苦手です。

なぜなら、絶対に誰かに見られているから。

根本的に相手を不快にしてはいけない・嫌われたくないという強迫観念があるので、本来はひっそりと紙のノートに筆を走らせて自分だけ見られるようにする方が向いているんですよね。

でもこういうのは『慣れ』だと思って、何年間もネットでひたすら意思発信を続けてきましたが・・・結局苦手意識は無くなりませんでした(*_*)



>頭の中に限って言えば、「始めに言葉ありき」ではない。
むしろ茫洋とした「言語化できないもの」がまずあり、それらに形を与えるために言語化をする。
これらに気づけなくなってくれば、何も思い浮かびはしなくなるだろう。


無意識に「言葉に出来ないもの」を全て「無い」ことにしていないか?
だからこそ、そこが「空白」に見えるのではないか?


ここが一番胸に突き刺さりましたね。

自分はみんな頭のいい人は―――頭の回転が速く、言葉が鮮明で、思考のアウトプットが巧みな人は物事に接したとき言葉が次から次へと湧き出てくるものだと思っていて、自分はどれだけトレーニングを重ねてもその境地には達せず、いつも頭が茫洋とした何かで埋め尽くされていたんですが、これが正常、これで大丈夫なんだと知って心の底からホッとしました(__)

ほんと自分は何も浮かばない・何も出てこない・何も感じない人間だなーーーと失望を通り越して諦めの境地に立っていたので(*_*)

蜃気楼みたいに捉えどころのないこの変な感覚が、『ある』の何よりの証拠だったんですね。。

これを知るだけで、思考する際に『ない』と諦めて投げやりに答えを出そうとしなくなり、代わりに「大丈夫。何かが確かに生まれている」という安心感とともにイメージの言語化に努められるようになりました。



>また、この「自己分析の結論」と言語化能力の高さが組み合わさるとちょっと厄介なことが起こり得る。
「予言の自己成就」、まぁ要するに自己暗示に近い。


ハッキリと「今の自分がこうである理由」としてそれっぽい(もっともらしい)ロジックが組み上がり、それが理由だと思い込んでいると、ずっとそのままかもしれない。

現状の原因は大抵過去に求められる。
過去は変えられない = これからも治らないし変われない という図式になる。
言語化での「補強」で、この暗示は更に強いものになってしまう。
特に人間の「性格」「人格」については「幼少期に自動的に周囲のせいで作成され、その後一生続くもの」とした「運命論」的な認識が強い。


だが実際にはそうではない。
人は変わることが出来るし、過去はただ「在っただけ」だ。


だが、「あんなことが有ったから今、自分はこうなんだ」というロジックには未来はあるだろうか。

そこで考えることを止めてしまっていいのだろうか。

考えるべきこと、そして出来ることは「これからどうなりたいか」のはずだ。

アドラー心理学の原因論と目的論を彷彿させる話です。

予言の自己成就は、確かにその通りかもしれない。

自分で自分を悪い方向に誘導してしまっている。本当は上手くいく可能性もあるのに。



>先に行っておくが、実力以上の自信はただの狂気だ。

自信は大切だが、過剰を目指す必要はなく自分に相応の分でいいと。



>思考回路は脳、つまりは肉体に依存したものであり、鍛えることもできれば鈍ることもある。
自分が何をしたいのか、自分が何を欲しいのか、それがなぜなのか。
こういった事を「考えたこともない」ならば、「自分」というものは育たない。

まぁ、手遅れということもないだろう。
自分がない、と悩めるのも自分がある証拠だ。
手遅れだったらそんな自分を疑いもしない。


思考で頭を悩ます人たちへの励まし。



>この場合は「自分の考えを持つ」という結果が目標なのではなくて、考えるという行為自体が目的になる。
だから直ぐにできるし、自分で出した答えはあなたの精神の血肉となるだろう(尤も、その答えの刷新や取捨選択も後々必要になってくるが)。


はい。



>「自分の意見」に対して必要以上に緊張を感じる人は、自分で出した答えが「一生変更してはならない誓いや宣言のようなもの」みたいな認識をしているように見える。
だから意見をハッキリ言うことを避ける。責任が重いからだ。
本来、判断材料が増えれば結論が変わって当たり前だ。
ぶっちゃけ、どこまで言っても仮決定だ。確信を持てるのを待ってる暇はないことのほうが多い。

特にネットでは一度発信すれば基本的に取り消し不可能ですからね。

一生残ってしまう。だから発言に慎重になってしまうわけですが・・・たまに失敗して。

中身の軽重問わず人に意見を求められたときに重圧を感じるのも、責任を必要以上に意識してしまうからなんだろうな。



>大抵の場合、こういったものは本来は直感レベルの閃きだ。後から理屈や証拠をべったらべったらくっつけて「意見」とする。

思考にしたってベクトルは状況把握をした瞬間に既に頭のなかにあるものだろう。

咄嗟のコメント力が高い人に憧れます。

直感ありき、後から理屈か。



>こういった、自分を作っていくのとは別に「自分を掘り下げていく」ことも十分に可能だし、やる価値が有るほどには人間の無意識は広大なものだ。

今まで自分嫌いという理由から敬遠してきたけど、やってみるべきなんだろうね。



>だが「何も考えられない」と言うのはまずありえない。
人間の(自動、受動的なものを含む)思考は一日に2万回とも6万回とも言われている。

仮に思考が他人より幾らか少ない程度で「何も考えられない」と言う状態にはならない。

問題は「自分で考える」という習慣が何らかの理由で退化、或いは未発達な状態であることと、何よりも「自分で決めるのが怖い」という点である。
それらの原因については……もういいだろう。散々言った。


(中略)

大人しく、自己主張しないと言うのは、人間社会という畜生道においてある意味「答え」でもある。
あなたは今の自分が嫌いかもしれないが、今のあなたには並の人間よりも発達した部分があるということは忘れないほうがいい。
それら全てを投げ捨ててはいけない。


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自分の中でずっと跋扈していた悩みが、すーっと解消していきました。

そこらへんで売っている『思考力をつける!』系の書物より断然糧になったな。

執筆されたnemo様に感謝です(__)
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妄想屋
ゲスト
妄想屋
ほう、そんな記事が。

幾つかは共感出来ますね。
紅茶
ゲスト
紅茶
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(`・ω・´)ゞ